幼い頃、母はよく本を読んで聞かせてくれたが、何故か動物がらみの物語が、とても心に響いた。それは、『かわいそうなぞう』や、『幸福な王子』、『フランダースの犬』など、動物と人間が心を通わせながらも、悲哀に満ちた話が多かった。そういった本を、涙ながらに読んでくれる母の姿を、今でもよく覚えている。モノクロのテレビでは、『名犬ラッシー』や『わんぱくフリッパー』、『巨像マヤ』等が好きだった。
中学生になると、西山登志雄氏の半生を描いた『僕の動物園日記』にハマり、やがて自分も動物園の飼育係になりたいと思いはじめた。自宅では、ワニまで飼っていた事がある。
僕が高校2年生の時、周囲にカメラ好きの同級生達がいて、いつもカメラの自慢話をしていたが、カメラを持っていない自分は、カメラよりも写真の方に興味を持ち始めた。そして毎日昼休みになると図書室に行き、『TIME』の写真集や、ブレッソン、シーモア、ドアノー等の、人間味とストーリーにあふれた写真に眺め入っていた。
しかし、大学受験はどうしよう?動物関係の仕事に就くのなら、何にしろ獣医師の免許を持っていれば間違いないだろうと、獣医学部を受けるが失敗。行く先の見えない不安と焦燥に駆られていたある日、『徹子の部屋』というテレビ番組に、動物写真家の田中光常氏が登場されていた。『動物写真家』!そんな仕事が有る事を知った僕は、其の夜帰宅した父に、『俺、動物写真家になる』と宣言。『明日、専門学校に願書を出してくる』と言うと、『そういう気持ちになったのなら、先ずカメラを買って、動物園にでも通って写真を撮って、続ける気が有るようなら、写真の大学を来年受験した方がいいよ。』と父。
それからは毎日、朝の開園時間と同時に、上野動物園で写真を撮り続けた。そして一年間撮りためた写真の中から、ペンギンが水中から飛び出した瞬間を正面より捉えた一枚が、JPS展に初入選。その審査委員のお一人に、田中光常氏が在られ、それ以来、先生の事務所に遊びに伺わせて頂く様になりました。
翌年、東京工芸大学短期大学部、写真学科に入学の後も、時間が有れば動物園に通い、卒業後は、田中光常氏の事務所に勤めました。そして1984年のJPS展にて、奨励賞を受賞したのをきっかけに独立。1986年に、最初の子ネコ写真集『ねこねこ子ネコ・パート2』(日本出版社)を出版。この写真集を持って、初めての売り込みに行ったアートプリントジャパンより出た8種類のポストカードの爆発的な売れ行きをきっかけに、カレンダーや手帳、ジグソーパズル等、多方面にわたる商品化のおかげで、子ネコ専門写真家として独立する事が出来ました。
その後、30歳を目前に控えて、海外で暮らしてみたいという気持ちと、写真に憧れを感じ始めていた頃の、ドアノーやブレッソンの様な写真を撮りたいという思いから、1991年3月にロンドンに渡りました。
日本とイギリスを行ったり来たりの生活は、それから5年におよびましたが、その頃のモノクロームも、或は動物園のシリーズも、そして子犬や子猫に向かう時も、幼い頃に心を動かされた『何か』を捉えたくて、自分は写真を撮っているのかもしれません。
Copyright © Satoshi Konuma All rights reserved.